GO EXPLORING 廃墟

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主に産業遺産や戦争遺跡の他、B級スポットなど巡ってます 気まぐれで更新して行きたいと思います


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手向山砲台跡

Category: 下関要塞・福岡・山口   Tags: ---

大津島を後にして次に下関に向かった


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とりあえず下関で宿泊~なんだけど・・・


電車の中からすごい混雑してたから、なんだ?って思ってたらその日は関門海峡の花火大会だったらしい
駅に降りたらホームから改札出るまで凄い行列が出来てたから・・・えらい時間かかった!!
ということで・・・

せっかくなんでちょっと見てきたよ(*´ω`*)


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なんか船越しに見てると爆撃されてるように見えた(`・ω・´)
まあ、花火大会は置いといて・・・

次の日福岡の小倉に向かい手向山の砲台跡を目指した

ここ関門海峡付近には多くの砲台跡が築かれ、ここら一帯を下関要塞と呼ばれた


明治時代、四面を海に囲まれた大日本帝国は外敵を防ぐため、全国に砲台を整備する必要に迫られていた。1886年(明治19年)には陸軍省が全国に砲台を建築する事を計画し、関門海峡でも1887年(明治20年)9月より、田の首砲台・田向山砲台を起工し要塞の建設が開始された。この時代の防衛は、敵が海岸付近まで攻めてきた所を船と協力して撃滅する、まさに「陸に砲台、海に船」といったものであった。そのため、陣地は関門海峡の沿岸に集中しており、多くの大砲が設置された。
1895年(明治28年)4月には東京湾要塞司令部と共に下関要塞司令部が設置された。その後、1899年には要塞地帯法により下関要塞地帯と名付けられ、写真撮影などが禁止された。重要な拠点であった下関要塞は重要な軍事機密でもあった。1893年(明治26年)には英国汽船クレーブランド号の「乗組員」が下関要塞の古城山砲台に侵入、施設図面を記録し逮捕されるという事件がおきている。
日露戦争が終わり、平和な時代になると要塞の整理が行われ、特に街中にあった敷地の一部が払い下げられた。現在では市民の憩いの場である老松公園もこの敷地を使ったものである。昭和に入ると日本と朝鮮、満州との間を守るため、玄界灘の島々に砲台を設置し、壱岐要塞や対馬要塞とも協力して朝鮮海峡全体を防衛するようになった。また、関門海峡一帯には空襲を防ぐために高射砲を多く設置した。小倉は小倉陸軍造兵廠を持つ軍都であったので激しい空襲も行われたが、要塞は終戦までその任務を全うした。

 ~Wikipedia抜粋~


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今は手向山公園として整備されている


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ちなみにこの山、宮本武蔵の養子の伊織が所有していたらしい


宮本武蔵の死から9年後の1654年(承応3年)、小倉藩で筆頭家老をつとめていた武蔵の養子、宮本伊織が山頂から巌流島(船島)が見渡せる手向山山頂に養父の顕彰碑を建立した。この頃、伊織は小倉藩主小笠原忠真より手向山を拝領しており、宮本家代々の墓は武蔵顕彰碑のとなりに設置されていた。
   ~Wikipedia抜粋~


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山の中に入ると案内板があった
とりあえず探照灯を目指す


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少し行くと探照灯発見!


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手前にあった説明版


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状態は良好


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円形のコンクリート部分には目標となる地名がどの方角にあるか刻まれている


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もう少し山の中へ行くと・・・


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観測所発見 (`・ω・´)!!


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こちらも状態は良好


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石柱は一本だけ残っている


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粗雑なコンクリートにボルトが残る


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結構コンクリ部分がでかかったりする


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もう少し山を登ると砲台跡がある
掩蔽部もあるが・・・


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第五・・・ごうって読むのか?
分からんw
ここは地下にあったんだろうが埋められていた


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続いてお隣へ


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ここは漆喰?で白く塗られていた
同じく入り口は塞がれている


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上部には銘板があった
明治二十年九月起工 明治二十一年九月竣工と書いてある


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手向砲台の石柱・・・だが裏には昭和四十九年と書かれていた


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説明版


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続いて第三掩蔽部


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ここも入れない


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砲台跡
残念ながら砲座は無くなっている


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第二掩蔽部


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砲台跡
ここも砲座は無くなっている


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第一掩蔽部


この上は山頂なんだけど
そこには武蔵の碑と小次郎の碑があったよ


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これが武蔵の碑で・・・


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これが小次郎の碑
武蔵に比べて謎の多い人物である


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次に手向山の麓にある火力発電所へ
フェンスがあるので中には入れない


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煉瓦造りの建物
例のごとく屋根は無い


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説明版
探照灯へ電気を送るために造られた発電所


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イギリス積みの建物


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奥には井戸が・・・
つっこんだら多分負けだと思う(´・ω・`)


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中には入れないので上からのショット



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手向山麓にあったコンクリの建物
中を覗いたら倉庫として使われているが・・・
説明版に火薬庫もあったとされているが・・・不明



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という感じで手向山砲台を後にして次の砲台へ向かうのだが・・・


とにかく暑かった(;´Д`)!!




続く


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プロフィール

yuuki

Author:yuuki
愛知県在住の会社員です
産業遺産や戦争遺産などがメインです
普通免許を持っていないため移動は基本的に
公共交通機関と徒歩です
写真は素人なので期待しないでくださいw

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