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GO EXPLORING

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主に産業遺産や戦争遺跡の他、B級スポットなど巡ってます 気まぐれで更新して行きたいと思います




九州編つづき!



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太刀洗にやって来たよ
福岡県にある太刀洗には陸軍の飛行場があった場所です
しかし!あいにくの雨アラレ
小範囲でプラプラしてきた


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太刀洗駅付近に菊池武光太刀洗之碑がある
鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて、南朝側の懐良親王の武将であり、九州で勢力を広げるために尽力されたお方です
戦い傷ついた武光が自分の刀に付いた血を洗い流したのがこの地と言われている
そこからこの地の名前が「太刀洗」といわれているそうだ


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そして1939年に開隊した航空第五教育隊の正門がある


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第五航空教育隊 西部第百部隊 空五七三部隊と書いてある
1919年に陸軍太刀洗飛行場が完成し、その後、陸軍飛行第四大隊が発足する
当初は偵察が主な任務だったけど、そこから日中戦争が勃発し第五航空教育隊が開隊
その後、拡充や改組を繰り返し飛行学校甘木生徒隊、航空廠、技能養成所など拡大していった
また特攻隊の基地として有名な知覧は太刀洗飛行学校の分校でもある


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敷地内に陸軍境界石が何個か落ちてた


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自然繁殖したようでいっぱいある


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現在進行形で成長中
クラシックとか聞かせると良いらしい
大きく育てよー


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真面目にいえばここにあるものは移設したものだろうね


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MH2000のヘリコプターが置いてある


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太刀洗の平和祈念館に入ってみよう


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中には唯一現存する零式艦上戦闘機三二型が展示してある


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中は太刀洗飛行場の歴史や航空技術、太刀洗大空襲の展示があるが撮影はNG


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零式艦上戦闘機三二型のみ撮影はOKとのこと


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なんで気になる人は現地へGO


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他にも博多湾から引き揚げられた九七戦闘機が展示してあるけど撮影不可のためこれのみです

この後周辺の遺構を見て回ったけどそれは次回ってことで~


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太刀洗探索のラストに駅ヨコの太刀洗レトロステーションに来た
元々はここが太刀洗平和記念館だったのだ
今の記念館が出来てからはレトロステーションとして昭和期の生活用品や電化製品など展示している
現記念館で展示してある九七式戦闘機は元々はここに展示してあったようだ
自分が訪れたときは館長さんは不在だったけども引き上げ時の映像も少しだけみせて頂いた


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なぜか自衛隊機のT-33ジェット練習機が乗ってるレトロステーション


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中に入って登ってみたが足場が狭いうえに土砂降りのため早々に撤退


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中を見学していこう


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昭和期の懐かしいものから見たことのないものまで展示してある
レトロ好きの人には垂涎ものだよ


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太刀洗飛行場の歴史のあらまし
手書きバージョン


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太刀洗駅との地下連絡通路
昔はここからホームへの通路だったようだ


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別れの駅
ここから特攻作戦のため知覧等へ出発していったようだ


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今はホームの待合室で塞がれてしまっている


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ホーム側から見るとこんな感じ
右側の待合室の下が連絡通路の階段になっているのだ


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地下通路から出ると九七式戦闘機を引き上げている時の映像が流れていた
特に頼んだわけじゃないけども気を利かせてもらっちゃったみたい


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九七式戦闘機の資料


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九七式戦闘機の翼の一部も保存されていて触らせてもらっちゃった


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もう少し余裕があれば本当はここでコーヒー飲みながらじっくりしたいところなんだけどね
時間の都合でお暇してしまった

個人的には現平和記念館に行ったのならこちらも訪れてほしい場所ですよー
昭和期のレトロな代物もイイもんですよ



ではでは( ´Д`)ノ~バイバイ












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九州編つづき!
北九州市にある軍艦防波堤見てきた
駆逐艦の「冬月」「涼月」「柳」の三隻が戦後に防波堤として生まれ変わっているのだ
現在は「冬月」「涼月」に二隻はコンクリートの護岸の中に埋められて役目を終えて眠っている
唯一「柳」だけが護岸から一部姿を現している状態だ
あと、正確にいえば響灘沈艦護岸といい、軍艦防波堤は通称になる


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周囲には釣り客がちらほら散見する中で柳の見学をする
「冬月」「涼月」はこのコンクリートに埋まって見る影もない


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配置はこんな感じになっている


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釣り客に不審者っぽく見られながら「柳」を見て回る
こちら側が艦首になる
沖に向かう方向が艦尾になる


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船体は錆びついているが船の形状が残っている


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洞海湾の荒波から港湾を守っている
しかし波が荒く通ったら濡れそうだなー


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思い切って艦尾まで行こうとしたけど波飛沫で濡れたので途中で颯爽と引き返す
・・・まあこのぐらいで勘弁しておくとしよう(`・ω・´)


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ちなみに戦後この軍艦防波堤の三隻が防波堤となった時は船首楼に入ることが出来たようだ
しかし、金属泥棒に船の鉄板を盗まれる事態が多発し立ち入りが出来なくなった
そして1961年の台風で船内の土砂が流出したためコンクリートで埋めてしまったようだ


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ということで軍艦防波堤でした

・・・これだけだと短いのでおまけの小ネタの写真だけ上げます


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閉園したてのスペースワールド外観だけ見てきた
ちなみにスペースワールドの敷地は官営八幡製鐵所の休遊地だった場所に建てられているよ


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解体されているからだろうか正門のあたりは落書きがいっぱい書かれてる
だけど内容見てみると皆こぞって残念がっている
いやはや愛されてますなー


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ということで解体中のスペースワールドでした




( ´Д`)ノ~バイバイ



九州編はまだ続く







九州編つづき!
ちょいと小ネタ気味です


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郷ノ浦港の方へ戻って来た
船の出航まで時間があるから周辺プラプラする
ちなみに壱岐要塞の司令部が郷ノ浦武生水町に造られたみたい
場所は調べてないからわかりませんけどね


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ふれ愛通りにやって来た突き当りに目的地はある
それは商店街にこっそりと佇んでいる


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目的の神社に辿り着いた


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塞神社というようだ
こじんまりとした可愛らしい神社だなー


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ちょっとお参りしていこう


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可愛らしいオブジェが置いてある
なんて愛くるしい姿なのだろう?


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とりあえずお参りしてお堂の中を覗いてみる


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獅子がボロボロのボールで遊んでいる


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三兄弟が祀られている
真ん中は長男だろうか?
アウトロー感が半端ない


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壁からなんか生えてるがおそらく自然現象だろう


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春画がいっぱい飾ってある


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そういえば話は逸れるけど塞神社の塞って・・・要塞の塞の字と同じ字ですよね?


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そしてこの近くに壱岐要塞司令部が置かれていた・・・
壱岐要塞と塞神社・・・その関連性だが・・・


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まったくなんの関係もないです(*´ω`*)


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ここで塞神社の由来
やっぱりこの手の神社って否が応でも猿田彦が絡んできますな


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外も見物してみる
何かの像がある


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左手で松茸、陽を示して、右手の親指で陰を示してるとのこと
松茸って陽を示していたのか、知らなかった・・・


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おかめの銅像?
手の形から招き猫のイミテーションっぽい気もする


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背中に入れ墨?
遊女かな?


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スタンプがある
どんなスタンプなんだろう


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塞神社の三兄弟だった


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せっかくだから面白そうだからおみくじ引いてよう(有料)


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中吉かよ


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ネタとしてはイマイチだった
う~ん・・・持ってないなー


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名残惜しいがそろそろ船の時間なんで撤収しようか


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ヴィーナス壕に乗り込む


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さよなら壱岐島
また会おう!



九州探訪はまだまだつづく



( ´Д`)ノ~バイバイ






九州探訪続きです・・・の前に・・・

いやー昨今のコロナ狂騒曲に食傷気味な日々が続きますが経済的にヤバイ気が・・・(;^ω^)
しかし日本感染症学会のHP見てるとアビガンは救世主になりそうな気がする!
これ無かったらどれだけ死者が増えていたのだろうか・・・ついでにレムデシビルは副作用やばそう・・・
これアメリカが承認すると追随して承認するらしいけど大丈夫だろうか?
そう考えるとアビガンさんをもっと上手く利用して早いとこコロナ恐るるに足らずとなって欲しいところ
じゃないと自粛解除したところで経済活動が元に戻らず、コロナ不況・・・いや、コロナ恐慌まっしぐらな気が・・・
観光業、飲食業はもとより個人消費の落ち込み、失業者数次第では他業種にも影響するだろうし・・・

・・・とまあコロナ騒動のこと考えるとうんざりするのでこのあたりで止めときます
素人考えなので話半分でってことで~


ということで話を元に戻そう
壱岐島にある黒崎砲台見て来たよ


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博多港までやって来た
ここから壱岐島までは船で一時間程度で着く
ちなみに壱岐島は福岡県じゃなく長崎県になる(←行くまで福岡県だと思ってた)


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島まではヴィーナス壕で行く


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船に揺られてしばらくすると壱岐島が見えてきた


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壱岐島に到着!
黒崎砲台に向かう
しっかし思ったよりも都会な島だね
コンビニもあったし
やはり本州から船で一時間程度の距離だからかな?


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取り敢えずのんびり行くとしよう


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しばらく北上していくと中々いい景色だね
やっぱり島っていいな


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砲台目指しひたすら進んでいくとなんか見つけた!


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コンクリートの門柱発見
どうやら旧軍の門柱のようだ


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少しコンクリートが欠けているが良好な状態


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もう一方は綺麗なもの


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少し進むとまたあった
どうやら二重に門が造られたようだ


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片側の門柱はなぜかコンクリートの擁壁に嵌っている


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こっちは丁番が残っている


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しばらく進んでいくとようやく着いた


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黒崎砲台(昭和3年8月に起工、昭和8年2月に完了)
砲塔砲台の設置された砲台だ
備砲は1921年のワシントン海軍軍縮条約によって戦艦、航空母艦の制限がかかり、建造中だった巡洋戦艦『赤城』を航空母艦に計画変更したため、搭載予定だった砲塔45口径40糎加農砲1基2門を海軍から陸軍に移管(保管転換)し陸上砲塔に改修し設置された砲台になる
艦載用に造られていた時は下部二層あったものを陸上砲塔用に一層に短くしている


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黒崎砲台の砲弾と大和の砲弾が落ちていた
たぶん比較にってことだろう


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東洋一の黒崎砲台だそうな
案内板には戦艦土佐の主砲を移設したとあるけど実際は赤城の一番砲塔が移管されている
赤城さんのイメージが空母だし、同時期に土佐が廃艦になったから間違えたのだろうかね?
赤城の二番砲塔は対馬要塞の豊砲台に据え付けられている
ちなみに土佐の主砲は釜山要塞の張子嶝砲台に一基移管されている
そう考えれば東洋一の砲台の内の一つと言うのが正しいかな?


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それでは内部へレッツゴー


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壕口のコンクリート部分は迷彩塗装が施されている


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入ってすぐの左手に冷却水槽が設置されていたようだ


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入って左手にコンクリートの通路を見つけた


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入口は小さいのでくぐっていく


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内部は部屋になっていてラジエーターが設置されていた場所だ
元に戻って坑道を進む


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画像の右側に送風機室、予備室、貯油庫と3区画造られていたようだ


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どうやらあそこが砲塔井(ほうとうせい)のようだ
砲台の竪坑前の広場は機関室や器具庫等5区画造られていた


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こちら側が砲塔井
だけど残念ながら柵がありこれ以上は入れないようになっている
ここの部分に給弾薬室があった


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もう一個の竪穴


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これは水圧蓄力機井になる
砲塔は動力が水圧だったことからここに水圧タンクが設置されていたようだ


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鉄製の梯子も残っている
竪坑は直径3.08m、深さ7.5mもある


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地中から見る光が美しい


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機関室のあった所には排気孔もあるでよ


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ということで穴を奥に抜けてみる


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もう一個の出口が見えてきた


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外の世界に生還した
娑婆の空気はうまいなー


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もう一個の出口はこんな感じに石積みになっている
こちらもコンクリートの部分は迷彩で塗装されている


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さて今度は砲塔砲台の穴を上から見に行く


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壕口を出て砲台上部に行く前に何か見つけた


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ポンプがある
冷却用の水槽に関係したものかな?


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さて今度こそ砲台跡の上部に行こう
どうやらここから行けるようだ


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あそこかな?


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にゃー


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砲台跡の竪坑は柵で囲われている
深さが13.6mあるから当たり前か・・・


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これを見に来たといってもいいけど思ってたよりもでかい
そして外周の通路が小さいため全景が撮れないw
これが精一杯w


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ここに砲塔砲台が嵌ってた
砲身掩体の穴になる
かなり大きな穴だけど画像じゃ伝わらないのが惜しい

というかレプリカでいいから等身大の砲塔砲台見たい(*'ω'*)


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取り敢えず目的は達成!
ちなみに黒崎砲台から南に唐人神展望所があるんだけど付近にコンクリート製八八式海岸射撃具の遺構(上部掩蓋は無くなっている)と南東側には弾薬庫があったみたい
訪問時には知らなかったから行ってないけどね!( ;∀;)
※八八式海岸射撃具とは簡単にいえば砲塔砲台用の射撃指揮装置で観測所のこと


その代わりといっては何だけど、ついでに猿岩を見に行く


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黒崎砲台のすぐそばに猿がいるのだ


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確かにモンキーっぽい


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物憂げな表情だ
何を憂いているんだろう


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特定の方向以外から見るとただの岩になる


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けど海がきれいだなー
ということで撤収しますー


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その後、原の辻遺跡に行ったけどここは割愛します


ということで( ´Д`)ノ~バイバイ


九州編はつづく




プロフィール

yuuki

Author:yuuki
愛知県在住の会社員です
産業遺産や戦争遺産などがメインです
普通免許を持っていないため移動は基本的に
公共交通機関と徒歩です
写真は素人なので期待しないでくださいw

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