GO EXPLORING 廃墟

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主に産業遺産や戦争遺跡の他、B級スポットなど巡ってます 気まぐれで更新して行きたいと思います


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今度は回天記念館から北へ、大津島の真ん中辺りにある砲台跡を目指す


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島の周回路沿いを歩いていくと・・・


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ぬこがこっち見てる(´・ω・`)


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ぬこのいる場所をもうちょっと行くと・・・


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砲台山への案内板がある!

という事で山の方へ・・・


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なんか建物ある・・・と思ったら


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火葬場だった・・・orz


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火葬場の手前を通り山の方へ進む

で・・・ここはネットで調べて行ったのだが険しい道を行かなくてはならない・・・みたいな感じだったので覚悟して山道を行く


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500mごとに表示があった


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わなもあった(´・ω・`)


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中間点に到着なんだが・・・


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思ったよりサクサク進めた
というかちゃんと道になってるからアクセスは意外と楽だった
傾斜もたいしたことない・・・


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雑な張り紙・・・


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1500m!!もうチョイ!!


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ここ・・・砲台へは楽に行けるんだけど・・・砲台跡ってやっぱり夏に行くもんじゃないね(´・ω・`)
とにかく薮蚊が凄い!!
ずっと付きまとってくる!!


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蚊に襲われながら進んでいくと兵舎跡の案内板があった


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便所?


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煉瓦塀だけが残っていた・・・


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ここのもうチョイ上に砲台はあるようだ


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少し急な坂を登っていくと・・・


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指揮所の表示!!
見てみると・・・


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おお!!
ちゃんと残ってる(`・ω・´)!!



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さっそく中へ~


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行こうと思ったら・・・


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蜘蛛の巣にやられた(;´Д`)!!

もろ顔面からいっちゃった・・・orz



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ここの記憶はもはやそれしかないです・・・


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あー・・・こんな写真撮ってたっけ?


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両サイドに煙突があったのは覚えてるけど・・・


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中に入ったっけ?


まあテンション下がったまま砲台跡へ行く


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砲台跡は雑草が覆い茂っていた


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案内板があったので説明は省略~


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ここはまだましな方かな?


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一個だけ穴を覗いてみた(´・ω・`)


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内部は狭い


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弾室だろうか?


ここには他に探照灯跡や発電所跡もあるらしいのだが
もろ真夏だったので暑くてここで終了

ということで下山する


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下山中に発見した石に刻まれた刻印
“昭和十七年”と刻まれていた


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という事で再び馬島港へ行き大津島を後にし、山口へ戻るのだった・・・




つづく




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回天基地を後にして回天記念館へ向かう



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当時の造られた塀が続く


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回天記念館へ向かうまでにいくつかの遺構が残る
これは点火試験場跡
だがこれは学校(幼稚園・小中学校が同じ敷地内に建ってる)の敷地内のため遠巻きでの撮影
敷地内の立ち入りの許可取ろうとしたけど誰も見当たらなかった・・・

元々学校のある辺りは調整工場等のあった場所
なんで敷地内にこういう遺構が残ってる


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変電所跡



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左側にある家っぽいのではなくその右奥にあるのが危険物貯蔵庫
戦跡でよく見かけるヤツ
ここで火薬を保管していた


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学校の反対側
当時はここらにも工場が立ち並んでいたらしい
今は更地となっている


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士官宿舎への石段


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当時は訓練にも使われた

記念館へと向かう


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回天記念館の付近にはコンクリートの土台が残っていた



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回天記念館の門柱


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当時の物かは不明


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記念館までの通路には・・・


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殉職者の名前が一人一人残されている


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記念館前のこの通路辺りには予科練の宿舎があった
もう当時の遺構は残っていない


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三代目の回天碑
過去2代はいずれも埋設されている


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記念館前には回天のレプリカが置かれている
ここ以外だと靖国神社の遊就館にも展示されていた記憶がある


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回天断面図


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海中で見たら鯨と間違えそう(´・ω・`)


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潜望鏡も忠実に再現
特攻のシンボルマーク「菊水」もしっかりと再現されている

ちなみに「菊水」のマークは楠木正成の家紋菊水から由来している
1336年、後醍醐天皇に忠義を尽くした楠木正成は湊川の戦いで足利尊氏の軍勢と戦い自害する
彼の生き様を「楠公精神」と呼び、のちに海軍大学校で教鞭を執った寺本武治少将は楠木正成を手本とした思想を教育した

湊川の戦いで楠木正成は社会の混乱を後醍醐天皇と知りつつも、政治の中心となれるのは足利尊氏以外にいないと思いつつも、京都で尊氏軍を迎え撃つ策も却下されつつも、負けると分かっていながら尊氏と戦い敗れ、最後は自害する

そんな楠木公の武人としての潔さを寺本少将は説いていった
そして、たとえ死んでも国家のために尽くすという精神に昇華していくことになる



って話がそれたw(*´д`*)


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回天の動力部分
海底から引き上げられたものらしい


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なんかふらついたけどようやく記念館へ入る



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入場料は300円だったかな?
写真撮ってもいいですか?って聞いたら
写真は自分のカメラなら撮ってもいいと言われたよ(´・ω・`)???


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当時の施設の模型
いかに馬島港から記念館までの間に工場が立ち並んでいたのかが分かる


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潜望鏡


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俗説のついたハッチ


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操縦席
映画「出口のない海」で使用されたもの
ちなみに自分は映画は見てないですw


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動力部分?
蓋の方に圧力計が付いてる


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殉職された方々の遺影


他にも回天の説明版とか遺品とか展示されていたが・・・小さい建物であっという間に見学は終了
なんで外へ


外に出るとお経を唱える声がしたので
辺りを見てみると回天碑でお経を唱える方がいたよ?

そんな光景を横目に場所を移動する


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次に魚雷見張所なる場所へ行くが・・・


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整備されている割には茂ってるねぇ


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でも少し行くと遊歩道に出る
ちょっと急な坂だが山肌を上っていくわけじゃないので割と楽かな?


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・・・まあ・・・夏以外ならねwι(´Д`υ)アツィー


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道中ふざけた案内板が100mおきに設置されている


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見張所は展望広場のすぐそばにある
最初の見張り所の400mってなんだったんだろう?



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案内板通りに行くと・・・


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コンクリートの建物が見えてくる(*´ω`*)


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コンクリートの建物だと思ったら煉瓦造りの上にコンクリートで固めてる


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入り口
早速中へ入る


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当然だが中には何も残ってはいない


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天井には吊り輪が残っていた
何吊るしてたんだろ(´・ω・`)?


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ここだけ窓枠が残っている


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建物自体は凄く小さくこじんまりとしている


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山肌に建っているので全体像の写真は撮れなかった
これで目一杯w


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魚雷見張所の案内板


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ついでに展望台へ~



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なんかある~


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「未来の風」っていうオブジェ


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ってか・・・ι(´Д`υ)アツィー


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展望広場だけあって眺めは・・・イマイチだったw
周囲は木が茂って見えないし・・・唯一なんか石の上に立って撮った一枚ですw



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この後下山して今度は島の中央部へと向かうのだった・・・




大津島ラストへとつづく












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トンネルに戻るとパネルが展示されていた


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どうやら当時の写真のようです


ここらで回天について少し説明を・・・
ちょっと歴史の話しになりますw
一応イデオロギーの偏らないような記述にするつもりですw


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まず回天の前に、日本はワシントン軍縮会議やロンドン軍縮会議により米、英よりも軍艦の隻数を抑えられたことにより海軍は軍艦として数えられない小型潜水艦や魚雷を主力として開発を進めていく 

まず開発されたのが甲標的という特殊潜航艇が開発された
(1931年に開発決定~1933年に第一次試作艇の試験~1940年に第二次試作艇の試験、甲標的として正式に採用)

だがこれは特攻という意図は無く敵艦隊に対して魚雷攻撃が出来る小型潜水艇として造られた


そして(かなり端折るがw)甲標的要因だった黒木博司中尉(訓練中殉死)と仁科関夫中尉(回天の最初の作戦であるウルシー泊地攻撃にて戦死)により人間魚雷が発案された


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だが彼らの提案は海軍上層部には何度も却下された(全面血書の請願書を提出したりもしている)
まあ発案自体はそれ以前(ガダルカナル島での敗北あたり)からあったが・・・

しかし戦局の悪化により1944年2月海軍上層部も提案を受け入れる
(だが「脱出装置と設ける」という条件付だったはずだったが
開発の遅れから実際は装備されなかった・・・1944年2月に試作開発指示で同年11月には初出撃)


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海軍は長距離攻撃用に開発された93式酸素魚雷3型を転用して回天を製造した
93式酸素魚雷の爆薬充填量は780kgなのに対し回天は1.55tと約2倍の量とされた


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俗説で回天に付いているハッチは内部から開かないと言われているがこれは誤りで内部から自由に開けることが出来る
だが水中での開閉は不可能のため脱出は出来なかった


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魚雷と回天の違いは狙いが外れたら命中しない魚雷と違って、狙いが外れても狙いを修正出来る誘導装置が付いている点です
まあ、その誘導装置は乗組員だが・・・

そのため回天は“人間魚雷”と呼ばれる所以である

だが当時のドイツとアメリカでは人の乗っていない誘導魚雷を既に実戦で投入していた
当時の技術力の差がこのような作戦を産んだのだろう


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回天の操縦はそうとう困難だったようです
まず潜望鏡で目標の位置の確認を行い、速度に基づいて命中する角度を設定し、走行時間を計算し潜望鏡を降ろしストップウォッチを使って推測航法で目標に突撃・・・
外れればこれを繰り返すというものだった

かなり無茶なように思えるが実際かなり難しく搭乗員の技量によるところが多かった

戦果としては撃沈3隻
撃破数隻程度だった


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とまあ回天の説明をしているうちにトンネル抜けてたw
・・・って自分の匙加減だけどw


トンネルを抜けると回天基地までの橋が架かっている


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トンネル出口には石碑?と・・・


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案内板があった
これによればこの基地は元々は魚雷発射場だったようだ


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とことこ歩いていって・・・


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振り返る(´・ω・`)


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回天基地に到着~


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海岸にあるにしてはきれいな状態


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この二つの穴が魚雷の発射口だろう
天井クレーンで魚雷の昇降は行なわれていた


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回天を発射するには少し小さい
やはり一回り小さい魚雷の発射口だろう


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奥の方には土台のようなものも残る


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二階部分があるがフェンスで侵入は不可



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魚雷発射場の反対側にはドルフィン?


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回天はここから海に投下していたのだろう


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陸揚用クレーンの跡も残っていた
もちろん投下時も使っていたが


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ということで回天基地を後にしてまたトンネルへ戻る


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戻っている時に島の子供たちがトンネル内を自転車で抜けていった


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トンネルを出て次に回天記念館へ向かった





つづく




おまけ  回天基地からトンネルへ戻るところの動画
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改めて見てみると暑かったせいか早足だったw





広島を後にして次に向かったのは・・・山口県周南市!!

ここの大津島には大戦時回天特攻基地が建設された
ちなみに回天って通称“人間魚雷”ともよばれる潜水艦型の特攻兵器のことです
細かいことはまた記述します


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そんなわけで徳山駅到着~


外を見ると・・・


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海岸沿いの工場群が見える~



せっかだったから夜に見に行ってきました(´・ω・`)


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工場夜景っていいねぇ(*´ω`*)


・・・って工場メインじゃなかったw

翌日朝から大津島行きのフェリーに乗るため徳山港へ向かう


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昨夜の工場群・・・昼間も当然のように稼動


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徳山港のフェリー乗り場に来てみればいきなりの回天推しw


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レプリカも置いてあるw
島に行く前に見てしまうのはどうなん(´・ω・`)?


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説明版もあった


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案内図もあった



というわけでフェリーに乗り込み大津島の馬島港にへ向かう
片道500円だったかな?
20分位船に揺られると・・・


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回天の島到着~(*´ω`*)♪



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回天殉職者の供養で建てられた銅像があった


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台詞多めの歌
う~ん・・・すごい歌詞だな・・・


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ここ馬島港あたりは製造工場やら整備工場やらが立ち並んでいた
今は更地だったり学校が建てられたりしております


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とりあえず適当に歩いていくと公園があった・・・中には・・・?


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なにこれ(´・ω・`)?


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その奥に門柱発見~♪


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この公園も工場跡地なのだろう


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例のごとく扉は無い


その先の階段を上ると・・・?


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回天基地が見えた・・・


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堤防?沿いを歩いていくと・・・


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案内板があった
まずは回天基地へ向かう


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するとすぐに・・・


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トンネル(*´∀`*)!!


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このトンネルは回天を基地まで運搬するためのもののようです


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内部は当時造られたにしてはかなりしっかりしている


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両端には排水溝も


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で・・・通路に付いている跡がトロッコの跡です


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少し進むと回天基地の向かう途中に出口があった


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ちょっと出てみた(´・ω・`)


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回天基地がもう間近だった
でもなんのためにここに出口造ったんだろ?
写真撮ってなかったけど海岸にも特に何もないし


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なんか上の方に四角い穴が三つほど空いてる・・・?
なんだろ?


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まあ考えても分からんもんは分からんのでトンネル中に戻り基地へ向かう

するとパネルが並ぶ場所に出た

そして奥には出口の光が・・・





つづく






本日なんか雨が凄いですw
名古屋駅辺りなんかはすぐ水たまるねぇ・・・(´Д`)ハァ…
ここらは河川の増水も怖いしねぇ
あと自分の携帯にも緊急災害速報のメールが3件ありました
名古屋市全域で非難準備の情報でしたが・・・
どれだけの人が非難したのかな・・・?


まあ・・・それはそれとして
お盆休みのレポです(´・ω・`)


広島メインで行ったわけではないのですが
ちょっと見たいものがあったので広島に寄り道して来ました



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広電に乗って行った所は・・・



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そこは住宅街の中に佇んでいる・・・



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広島陸軍被服支廠!!(`・ω・´)!!


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真横には住宅街・・・違和感が凄いねw


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wikiによれば外観は煉瓦造りだが内部は鉄筋コンクリートとのこと


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変形した鉄扉・・・
これは原爆の爆風で歪んだようです
ちなみに爆心地から2.7km離れています


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入り口?
と思ったら・・・


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塞がれてました


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鉄扉には蔦が這っている


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隙間から内部を覗くと・・・


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鉄格子と板でしっかりと塞がれていた


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建物沿いを歩いていくと・・・


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立ち入り禁止
中へ入るのは立地的にハードルが高そう
そういう気分にもならないけど・・・


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この倉庫の向こう側は広島工業高校がある
高校と住宅に挟まれポツンと残っている


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上を見ると碍子が残っていた・・・


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ここの説明を少しだけ・・・


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陸軍被服支廠とは軍服の調達、製造、修理、保管とかを担当した陸軍直轄の施設です


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1904年に設置された陸軍被服廠広島派出所が1907年に被服支廠に昇格しました


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その後どんどん拡張し17万㎡もの広大な敷地にコンクリート作りの煉瓦倉庫が98棟も造られた
現在は10-13号棟の4棟が残っているのみです


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最盛期には2000人もの本雇いがいたそうです


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そして原爆投下後は60cmもの壁の厚みのおかげで倒壊しなかったこの倉庫に3400人もの被爆者が収容されました


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戦後には学校の校舎や寮として利用され1959年に日本通運広島支店に貸与されていましたが現在は放置された状態です


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幅27m、長さ94m、高さ15mの外観二階建て、内部三階建てという巨大倉庫・・・


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何気に原爆ドームクラスの遺構なのに広島県の対応は雲泥の差
補修する費用すらないそうですw
原爆ドームはあんなにサイボーグ化してるのに・・・
というか内部公開してほしい~


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ということでこれを見るだけに広島に立ち寄ったのですw


今回の目的地はもうチョイ西~♪



つづく?





プロフィール

yuuki

Author:yuuki
愛知県在住の会社員です
産業遺産や戦争遺産などがメインです
普通免許を持っていないため移動は基本的に
公共交通機関と徒歩です
写真は素人なので期待しないでくださいw

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