GO EXPLORING 廃墟

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主に産業遺産や戦争遺跡の他、B級スポットなど巡ってます 気まぐれで更新して行きたいと思います


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富岡製糸場

Category: 産業遺産・群馬   Tags: ---

なんか富岡製糸場が世界遺産に勧告されたそうな
何はともあれおめでとう!!
平成26年6月の世界遺産委員会で正式に決まるらしい
このまますんなり行ってくれることを祈ってます


で、ここ「そういや行ったな~」って思ったんで
八丈島編途中だけどちょっと挟んでおこうと思う


いやしかし、とうとう群馬県に世界遺産ですかw
ネタ県だっただけにチョイ残念・・・?
いやそこは変わらんかw


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早速中へ入る
ちなみに有料
いくらかは忘れた


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入ってすぐ東繭倉庫がある


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煉瓦建屋だがなぜかあまり重厚な感じは無い
というか結構見学者が多い
まあ今後はもっと増えるだろうが


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裏側


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二階からコンベアが降りてきている


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ここが何だったか忘れた
残念なことに先日の大雪で倒壊してしまったらしい


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人がいっぱいだ(´・ω・`)



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西繭倉庫があるが近づけない


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煙突がある


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1939年に建造されたらしい


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ここでちょっと簡単な説明を・・・
富岡製糸場は1872年(明治5年)に官営模範工場の一つとして操業を開始した
1893年(明治26年)には三井家に払い下げられ、官営から民営となる
1902年(明治35年)原合名会社に譲渡された
1938年(昭和13年)株式会社富岡製糸所として独立
1939年(昭和14年)片倉製糸紡績会社に合併される
1987年(昭和62年)に操業を停止


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製糸場の女工というと『女工哀史』という過酷な労働現場というイメージがあるが・・・

官営時代のここの労働環境は充実していた。6勤1休で1日8時間程度の労働
年末年始と夏期の10日ずつ休暇で、食費・寮費などは製糸場持ちだったようです。


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気になるお給料(年間)は
一等工女 25円 二等工女 18円 三等工女 12円 等外工女 9円
それとは別に作業服代として、夏冬5円支給される。

ちなみに当時は100円で家が建った時代


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民営となると労働時間が長くされ夏の実働時間は約12時間、冬は約9時間となっていた
確かに現代と比べれば過酷なようにも思えるが
当時の日本は富国強兵の真っ只中だ
その中でこの待遇はかなり恵まれているといえる

当時の他の工場の労働時間は当時短ければ12~13時間、長ければ17~18時間程になっている
休憩や食事時間も十分に取れない過酷な労働現場だった


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まあ、当時の工場は製糸、紡績、織物が圧倒的に多く
次いで坑夫となる
と言っても明治初期の約80%は農民だった
全労働者の約30%が工場で働く労働者となったのは大正14年になる
年間の労働時間の推移(資料・社会実情データ図録)

まあ、坑夫や戦時中の地下工場勤務に比べればかなりマシと言えるだろう


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ちなみに大東亜戦争当時富岡製糸場は落下傘(パラシュート)の生糸を製造していた


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1941年に蚕糸業統制法の施行により富岡製糸場は生産が統制されるようになる
これにより片倉紡績は軍需産業へ転換していく


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9箇所の事業所を軍需産業に売却し、15箇所を軍需産業とし落下傘や絹歯車や油性パッキンの製造を行った
1943年(昭和18年)には片倉工業と社名を変えている


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戦後、片倉工業はGHQにより解体されるがすぐに事業を展開し、生糸生産を開始し
その他自動車部品の製造なども行うようになる


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で富岡製糸場だが幸い空襲に合うことなくそのままの姿で戦後を迎えた
終戦後しばらくして朝鮮戦争が勃発
これにより一時期活気を取り戻したが、その後和服の需要が減り
1972年(昭和47年)日中国交正常化により中国産の廉価な生糸が輸入されるようになり
富岡製糸場の生産量は減少していき1987年(昭和62年)に操業を停止した


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ここの排水溝は煉瓦造りらしい


片倉工業がすごいのは富岡製糸場が閉鎖されたにも関わらず、その後維持管理を担ったことだ
年間1億以上も掛かったらしい
「売らない、貸さない、壊さない」
この三原則を守り続けていた
こうして富岡製糸場は2005年(平成17年)9月30日に富岡市に寄贈されるまで
良好な状態で今現在も現存している
こうして世界遺産に登録されることを迎えられるのは片倉工業の功績だろう

個人的にはこの片倉工業の功績も伝えていって欲しいな・・・っと思う今日この頃なわけです(*´ω`*)はい



まあ何はともあれ、世界遺産登録ほぼ確定おめでとう!!





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プロフィール

yuuki

Author:yuuki
愛知県在住の会社員です
産業遺産や戦争遺産などがメインです
普通免許を持っていないため移動は基本的に
公共交通機関と徒歩です
写真は素人なので期待しないでくださいw

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